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戦後年賀状のトレンド

展示物: 逓信総合博物館
米沢市上杉博物館
フタバ株式会社
参考文献: 「年賀状の歴史と話題」
平成8年11月発行(逓信総合博物館)
日本郵政公社HP
ていぱーくHP
解説文: 当博物館の責任において掲載させていただきます。
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戦後年賀状のトレンド

1961(昭和36)年 官製年賀はがきの消印省略
1968(昭和43)年 郵便番号制度開始 年賀状にも郵便番号枠
1975年前後 年賀状印刷さかんに
1982(昭和57)年 寄付金つきは裏面絵入りに
1989(平成元)年 世界初のくじ付き切手(年賀用)発行


年賀状増加に伴うさまざまな改革

消印表示が印刷された年賀状お年玉くじ付き年賀はがきの登場以来、増え続ける年賀郵便に対応するため、1960年代以降、さまざまなシステム上の改変が行われます。
まず、1961(昭和36)年には、年賀郵便の消印が省略されます。はがきの額面表示の下に、消印に模した丸表示を印刷した今ではおなじみのスタイルは、ここから始まりました。




郵便番号記入推進のポスター1968(昭和43)年7月には、増加する郵便物への対応と配達のスピードアップをねらって、郵便番号制度が導入されます。これに合わせ、年賀はがきの表面にも郵便番号枠が加わります。むしろ、この年の年賀状によって、郵便番号が国民の中に定着したと言ってもいいでしょう。宛先の郵便番号だけでなく、自分の住所の郵便番号を必ず書くよう推奨したことで、相手に知らせる役割も果たしたのです。


多様化する「年賀状」文化

1975(昭和50)年前後には25億通を超した年賀状は、その後多様な発展を見せます。
乳児や幼児まで含めても国民1人あたり25枚以上の年賀状を出す計算になるわけですから、その労力も相当なものです。仕事などで忙しい人には、その時間をつくること自体、努力が必要になります。ところが、そんな人に限って出す枚数が多いのです。そこで、1979(昭和54)年頃から、官製はがきに絵や文字を印刷する年賀状印刷がさかんになります。
以前から、はがきなどの簡易印刷はありましたが、デパートやスーパー、文具店などで、好きな文面や図柄を選んで簡単に申し込め、しかもお年玉つきの官製はがきで出せることから、大きな人気を呼び、現在に至っています。1982(昭和57)年からは、郵政省も寄付金付きの年賀はがきを絵入りにしています。
お年玉くじ付き年賀切手1989(平成元)年には、はがきだけでなく、年賀切手にもくじつきのタイプが発行されるようになります。80年代に入り、次第に年賀切手の需要が伸びたことが大きな理由で、写真年賀状の普及も背景にありました。これを機に写真の印画紙に、家族などの写真と賀詞をいっしょに現像したはがきが急増します。
それ以降、目の不自由な方への対応や、パソコン印刷への対応など、官製はがき自体もさまざまな多様化の道を進んでいます。


年賀状文化の未来

平成に入っても増加を続けた年賀郵便は1997(平成9)年の約37億通をピークに、停滞ないし微減傾向が続いています。これは、景気の長期低迷が続いたことや、インターネットの普及で電子メールがさかんになったことなど、さまざまな理由が考えられます。しかし、現在でも国民1人あたり約35通の年賀状が出されています。
ここまで見てきたように、年賀状は、長い日本の伝統を背景に、日本の民衆自身が育ててきた文化です。一方で、第二次大戦時の激減が物語るように、平和な世が続くことの証しでもあります。
互いの息災に感謝しつつ、自分や家族や友人たちの1年の健康と幸せを願う年賀状。ぎすぎすしたことの多い時代にこそ、そんなやさしさを失わない年賀状の文化を、守り、発展させていきたいものです。

亥年の年賀切手と図案のもととなった郷土玩具 亥年の年賀切手と図案のもととなった郷土玩具


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